佐世保湾の海岸線に沿って県道11号を佐世保駅から北に進むと、程なく見えてくる米軍基地。
もともとは明治中期に帝国海軍の鎮守府および工廠としてスタートし、第二次世界大戦後の1952年には日米行政協定により米海軍基地へ姿を変えた。
古代から中国や朝鮮、中世はポルトガルやオランダ、近代はイギリスといった海外諸国とのフロントラインだった長崎は、こうしてアメリカの影響を色濃く受けることになる。
メインゲート手前にある交差点を介して海上自衛隊佐世保地方総監部や子供の遊ぶ公園と面しており、その道沿いの幅広い歩道では私のようにジョギングに勤しむ人の姿もチラホラ。
佐世保出身の村上龍の文章で、基地内の居住地域の様子が見え、米軍兵と日本女性が生活する姿に複雑な感情を抱いた主旨のものを記憶しているが、実際に近辺まできてみると、村上龍の通った小中学校は隣接していて現在は小中一貫教育校となっているが、その横は米軍のハウジングエリアだった。
ちょうど村上龍が生まれた年に米海軍基地となり変わっていく佐世保の様子は、少年の脳裏に強烈に記憶されただろう。
県道11号の歩道と基地は金網で区切られ中の様子は自然と見える。
駐車場の向こうに見えるのはドック型輸送揚陸艦の一部だろうか。
アメリカの独立記念日の前後にはエリア限定で一般開放される日もあるそうだ。
米海軍佐世保基地
住所:長崎県佐世保市
住所:長崎県佐世保市