出島 嘗ての外交フロントライン 

IMG_4421長崎は古くから中国や朝鮮、中世ではポルトガルやオランダといった諸外国とのフロンラインとして機能した。

特に中世、ポルトガルとスペインは宗教改革で窮地に立ったカトリックの新戦略となる世界各地での布教拡大に着手すると共に植民地化を進めていった。その狙いを察知した秀吉の時代からポルトガル人の活動制限対策は始まっていたが、徳川家光の時代に更に踏み込んだ施策として本邦初の人工島「出島」が完成、ポルトガル人の生活はこの場所で管理されることになった。IMG_4422その後、島原の乱などを経てポルトガル人の国外追放がなされた後は、平戸で活動していたオランダ人向けの商館エリアとなり、江戸末期に閉館された後は大正時代に国指定史跡に認定。それ以降保全されながら、現在は観光地として多くの人々が訪れる場所に生まれ変わった。IMG_4425DX時代にイノベーションを起こす源泉として、対外的なコラボレーションのハブとして既存部門から切り離されたデジタルマーケティングなどのデジタル部門を語呂合わせで「デジマ」と呼ぶことがあるが、当時の海外貿易や蘭学の最前線だった天領「出島」と重なるところがあるかもしれない。

出島のロケーションは市街地からバスで数駅、アクセスの良い場所にあり、入場料金も数百円程度なので気軽に訪れることができる。

広々とした館の内部は落ち着いたのんびりとした雰囲気だし、長居してしまいそうだ。畳の上でくつろいでいる人、映像作品の前でウトウトしている人も。また、多くの展示物や資料、解説ボードをじっくり見て廻るのも悪くない。IMG_4424着物のコスプレをした案内役もおり、気さくに話をしてくれるので質問してみるのも良いだろう。

保全された江戸時代の空間の外は現在の長崎の街並みが囲む。そのギャップも面白い見どころの一つかも。IMG_4426

国指定史跡 出島和蘭商館跡
住所:長崎県長崎市出島町6-1
URL:https://nagasakidejima.jp

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