「信徒発見」の地 大浦天主堂 

IMG_4427グラバー園の手前に位置する大浦天主堂、通称フランス寺。

長崎とヨーロッパとの関係と言えば、ポルトガルやオランダ、坂本龍馬をバックアップしたスコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーなどが思い浮かぶが、江戸末期にはフランス人宣教師達が再布教のために長崎の地を踏んでいる。

大浦天主堂はそのフランス人宣教師達によって手がけられたもので、1597年に起きた二十六聖人の殉教に捧げられた。

1596年、土佐に漂着したスペイン人が、その来日目的を宣教師の派遣で現地人を改宗させ日本を占領する旨発言、これが秀吉の逆鱗に触れ、26人の修道士と信者が長崎で処刑されるに至ったのだ。

それから260年以上を経過した江戸末期、日本が開国へ舵を切る中、未だ禁教令が施行されていたものの外国人向け施設との名目で1864年に完成、1865年2月に献堂式が行なわれた。IMG_4429その一ヶ月後、天主堂で実現したフランス人宣教師に対する隠れキリシタンの子孫による信仰の告白は「信徒発見」と言われ、史上例のない信仰心の結実として世界を驚歎させたという。

天主堂の横には博物館があり、隠れキリシタン関連の資料や展示物が並ぶ。禁教と殉教の波打ち際を300年にわたり世代を越え歩み抜けた信仰の深さは想像を絶するものがあるが、その一端に触れ、何かを感じることができるだろう。IMG_4365

大浦天主堂
住所:長崎県長崎市南山手町5−3
URL:https://nagasaki-oura-church.jp

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