日本の通信技術の歴史的起点 長崎

現代のICT環境は急速に整備が進み、先進国はもとより通信環境のなかった新興国に突如としてモバイルインフラが登場する様はLeapfrog現象とも言われることがあった。

そんな状況でも、無線通信はアクセスポイントまでの限定区間で世界中の通信の九割は依然として有線を基盤としており、今日でも通信ケーブルの施設が世界各地で行なわれている。

国際海底ケーブルによる国際ICT環境の幕開けは19世紀の半ばだが、日本は明治4年には長崎-上海間、長崎-ウラジオストック間の海底ケーブルを施設、その2年後には長崎-東京間の通信インフラを完成させる離れ業をやってみせた。

当時様々な技術力や国際力で抜きん出ていた佐賀藩は、石丸安世がグラバーのバックアップでイギリスに密航、通信技術を学んで帰国した。

こうした土台の上に明治3年、石丸は明治政府初代電信頭に着任し、日本の電気通信基盤のスタートアップを担い、上述したような成果として結実させたのだ。

陸揚げされた回線は現在のANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル(当時のベルビューホテル)の一室に設けられた通信所に接続、交信されていたという。

その地理的環境により様々な面で多くがもたらされ発展した長崎。

街のあちこちでその証跡を垣間見ることができ、非常に面白い。

国際電信発祥の地(ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒル敷地内)
住所:長崎県長崎市南山手町1-18
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