15世紀にスペインやポルトガルが口火を切ったAge of Exploration。
探索や発見というと聞こえがよいが主体者側による意味付けであり、実態としては暴力、宗教、様々な利権交渉を巧みにミックスした戦争、征服、奴隷制度への道のりだった。
種子島の鉄砲伝来からポルトガルと日本の関係は始まったが、ポルトガルやスペインがアフリカや南アメリカ、インド、東アジア各地で行った事実を伝え知るだけでなく、日本人の奴隷転売も進む状況にあり、秀吉の時代からバテレン(神父)追放令など外交のモードチェンジが始まる。
こうした動きは江戸時代の鎖国政策で更に強化されるが、中国、オランダ、朝鮮、琉球の四カ国とは国交を維持しており国を閉ざしたわけではない。むしろ明治開国という言葉は開かれたイメージを与えるが、実際相手にしたのはアメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ロシアの五カ国だけしかない。
鎖国とは、明治政府がアンシャン・レジームを批判するための「盛った」表現だったか。
また、キリスト教を排除したといわれるが、実際は一派であるCatholicを対象としたにすぎない(空海の時代に輸入されたNestorius派の景教が排除されたことはない)。
そのCatholicの一派として新興間もないイエスズ会が世界布教を託され、東アジアで最重要拠点としたのがマカオだった。16世紀の明の時代、東アジアでの海賊征伐に貢献したことでポルトガルはマカオでの永住居住権を与えられ、19世紀には清から行政権を奪取、300年かけて植民地化するに至った。
現在のマカオのポルトガル文化はこうした時代を土台にして発展してきたのだろう。
その後Age of Explorationが遠い過去のものとなり、軍事力や経済力を大きく落として交戦力を失ったポルトガルが第二次世界大戦で中立国の立場を選択したことで、現代に繋がるモードチェンジが始まる。
第二次大戦中には日本と交戦中の中国から難民が流入したり、日本の占領期間もあったが、日本が東アジア諸国を植民地化していった中でマカオにそうしなかったのは、マカオ同様ポルトガル文化を持つと同時に、日本からの移民を大量に受け入れていたブラジルからの要請があったとも一説には言われている。
第二次大戦終戦後、1951年にはポルトガルはマカオを海外県に定め、現地の自治を大きく認める方向へシフトした。
更に1966年には中国共産党と衝突するなどガバナンスの低下が顕在化、加えて1974年にはポルトガル本国で1933年から続いてきた独裁体制が崩壊(カーネーション革命)、海外植民地の放棄を宣言する。
こうした流れの中で1979年にポルトガルと中国は外交関係を回復、その20年後にマカオは中国へ正式に返還された。
2001年には、一時はマカオの税収の50%を納税していたと言われるStanley Hoが独占していたカジノ利権をリセット、カジノ産業を対外解放する。今では収益規模はLas Vegasの数倍に達し世界一として名を馳せるに至り、単にギャンブルニーズに応えるだけなくIRへ進化するエリアも生まれ、グローバル企業のカンファレンスにも活用されるようになってきた。
返還された1999年からの50年間は、マカオに国家レベルの自治を認める一国二制度が適用されるが、その2049年は中国が建国100年を迎える節目の年だ。
2017年10月の共産党大会で習近平は、建国100年で中国は世界一になると宣言した。
中国のこうした長期戦略は100年マラソンと例えられ、これをテーマに本を書いたMichael Pillsburyは戦略の土台となる9要素をあげている(彼の著書「China 2049」から抜粋)。
①敵の自己満足を引き出して、警戒態勢をとらせない
②敵の助言者をうまく利用する
③勝利するまで、数十年、あるいはそれ以上、忍耐する
④戦略的目的のために敵の考えや技術を盗む
⑤長期的な競争に勝つうえで、軍事力は決定的要因ではない
⑥覇権国はその支配的な地位を維持するためなら、極端で無謀な行動さえとりかねない
⑦勢を見失わない
⑧自国とライバルの相対的な力を図る尺度を確立し、利用する
⑨常に警戒し、他国に包囲されたり、騙されたりしないようにする
ここ最近、IT技術の多くを中国に盗まれてきたアメリカがモードチェンジし、HauweiやZTEを本気で排除する動きを取り始めたが、2049年に向けてpower politicsはどう変容していくのだろうか。数百年に及ぶ戦国時代を経験した中国にとって100年など大した時間ではないかもしれない。
もう既に残り30年、我々が見る2049年はどんな世界だろうか。